オタクとしての生活、あるいは生活としてのオタク

このブログで述べられていることはすべて虚構です。それでも虚構の中に美しい花束を探しています。

白石蔵ノ介、幸福に生きろ

白石蔵ノ介、幸福に生きろ。別に具体的な手段はなんだっていい。

いっぱいテニスをしろ。完璧を目指せ。ギャグは面白くなくたっていい。

 

カブリエルが冬を越せるように全力を尽くせ。もし冬を越せなかったら思い切り泣け。誰に何を言われようと気にするな。君にしかできない。

 

とりあえず生きろ。君はかならず幸福になる。

 

 

下書きにこのような文章が入っていたのですが、おそらくカブリエルと白石の関係についてかなり思い悩んでいた日に書いたんじゃないかと思います。なんで私が思い悩んでいるんですか?

幸福に生きることを平然と押し付けてくるこの形容しがたいアレさを皆さんにも共有したく思ったんですが、どこから来るんでしょうねこの気味の悪さは……。

相手がそのままでは幸福ではないと考えてることとか人は幸福に生きなければならないという価値観を内面化してることとかその価値観を相手に押し付けていることとか、そういうアレですかね。相手が二次元であることはこの場合そんなに重大な問題ではなく、相手が一次元(?)であろうと三次元であろうと「幸福に生きろ」というナラティブはちょっとやべえんじゃないかと思います。

家族や友人や好きな人(奥ゆかしい表現!)であれば「幸せに生きてほしい」ってそんなに変な願いではないとは思うんですが、相互関係のない他人に対してはアレなのかもしれません。ちょっとこの辺は年齢のわりに人生経験が乏しすぎてよくわからないところがでかいですね。ライブ配信にはハマらないようにします。

 

白石には幸福に生きてほしいけど白石ってたぶん自力で幸福に生きられますもんね。オタクがすべきことは給与をグッズに横流しすることだけなのかもしれません。えっ二次元キャラクターだからそもそも「生きて」はいない? シミュラークルの集まりにすぎないキャラクターに「人格」を想定して愛好することの意味? そもそも「物自体」として想定されるのは絵とかテキストだけであるのに、人格として現象することを可能にしている条件? 二次元キャラクターからのオタクへの「ケア」とオタクからお金を出すことによる相互ケアの幻想? あっ待って「相互ケアの幻想」って考えるべき事項かもしれない、ありがとう白石!

 

白石が内向きでこだわりが強くて完璧主義であることはところどころで感じているんですが、たぶんそれら全て白石の美点なので堂々と生きてほしいですね。たぶん世界の希望でもあるので。就活はちょっと苦労するタイプなんじゃないですかね、自分が望む職業のためならガッツリ演技するし演技できる技量はあると思うんですけど……と思ったんですけど流石に大人になる頃には完璧主義も丸くなってるだろうし自己分析は徹底できるタイプだろうから全然心配なさそうですね。

オタクから言うことありませんでした。

 

おわり。